レテに浮かんで

商業写真、特にポートレイトにおいて、人物の内面の核を片手で掴み取るような写真表現を模索してきた写真家・熊谷直子の第二作品集。タイトルに登場する「レテ」とはギリシャ神話に登場する冥界の川の名称で、この川の水を飲んだ者は過去の全てを忘れてしまうという伝承が残っている。作者がこの川の名前を題名に採用したのは、実母との別れや生家が解体され更地になったこと、さらに友人との離別など様々な喪失を繰り返す中で、私たちは過去の記憶を思い返しては少しずつ忘れていき、澱のように沈んでいくごとにそれが自分自身を形成する一部となっていくのだと感じたことに由来する。部屋に差し込む光や壁にうつる影を通して、忘れても消えることのない記憶が脳裏に蘇る。静止画ながらまるで匂いや温度も伴っているかのような写実的な描写から生を感じ、心が揺さぶられる一冊。

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